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2016-03-16

IT機器はLDのある子の「可能性の扉」を拓くカギになる!

現在Facebookページの発信では、学校へのiPad持ち込みに関する投稿をしているところです。

でね。
私自身は、少し読書に時間がかかるくらいで、顕著なLDはないのですが(多分。。。^-^;)、書字障害と集中力の偏りがあって、学校の成績には良いところが全く反映されない長男の気持ちを想像する時に、いつも私が思い出すことがあります。

それは、私が20歳のピチピチの女子大生の頃の話。
(あんまりきゃぴきゃぴしてませんでしたが、、、^-^;)

すごく学びたいことがあって、突然思いついて、半年間単身渡米したことがあります。
(一体なにを考えていたんでしょうね...f(^-^;) 若さって怖い!)


英語は人並み程度にはできたので、とりあえず行けばなんとかなると思っていたのです。

ところが!

ついた途端、現地の人のことばが全く聞き取れず、頭は真っ白。大パニック!
話すほうも、中1レベルの簡単な単語すらも「分かっているのに、出て来ない」になってしまったのです。

するとね。

アパートは貸してもらえないし、語学学校にいく道も、地下鉄の乗り方も分からない。
バカにされるし、カモられるし、ボッタクられるし、
挙げ句、途方に暮れている時に、手を差し伸べてくれた「親切な人」に家に閉じ込められて、犯罪被害に遭うところでした(←安心して下さい!運良く無事逃げ出せました。アブネー^-^;;;)

ただ、現地の言葉が通じない、というだけで、母国で大学に行こうが、どれだけ学びたいことがあろうが、「可能性の扉」が開かないことがあるんです。

そして、どれだけ日本語の知識や経験があろうと、どれだけ頭では分かっていても、
赤ちゃんの言葉しか使えなければ、赤ちゃん扱いされてしまうんです。

もう、悔しかったこと、悔しかったこと!!

(その後、私は現地の日本人の不動産屋さんに通訳して貰って、アパートを借り、語学学校に通いながら、当初の目的とは違ったことを学んで、楽しい思い出と共に帰国しました(笑))

だから、私は、この時の経験から、
ただ字を書くのが苦手というだけで、「分かっているのにできない、書けない」という長男の気持ち・・・分かってもらえない、不当に評価されるという悔しさや、思いどおりに動かない自分への苛立ち・・・が、結構想像できてしまうんです。悔しいよね。うん。

だけどね。

20年後の今の人は、もし、昔の私のように突然外国に行こうと思い立ったら、スマホにリアルタイムで翻訳できる「Google翻訳」とかのアプリを入れて行けば、以前私が直面した、最初の一歩のための、最低限の言葉の問題は、殆ど解決してしまうんです。

外国で学びたい、仕事をしたいと思っていても、
「言葉の壁があるから、どうせムリ」と最初から諦めている人。
頑張ってみたものの、充分な住居や仕事を得られず、挫折してしまう人。
そういう世界があることすら、自分の人生に想像すらしてなかった人。

そんな人たちの「可能性の扉」が、スマホひとつで拓いて行くんです。

勿論、キカイにばかり頼っていたら、本当の語学力はなかなか身に付かないかもしれませんし、道具が全てを解決してくれる訳でもありません。

でも「なんのために」言葉は必要なのか、自分の本当の目的を考えた時に、それが「英語で話せるようになること」ではなくて、「英語を話す人ともコミュニケーションを取れること」であるならば、そして語学よりも優先して学びたいことがあるならば、せっかくの「若気の至り」のエネルギーのある時期を、逃すことはないんです。

流暢に話せるようになるまで日本で完璧に練習してから・・・なんて言ってたら、一番吸収力が高くて、好奇心が強くて、行動力があって、立ち直りも早い、人生の最良のタイミングを逃してしまうかもしれません(勿論、いくつになっても学ぶことはできますけどね(^-^)v)。

LDのある子、集団で学ぶことに困難さがある子にとってのIT機器も、私は全く同じだと思っています。

好きなことの勉強や、仕事をしたいと思っていても、
「字が読めない、書けない、成績が悪いから、どうせムリ」と最初から諦めている子。
頑張って進学・就職してみたものの、うまく行かずに挫折してしまう子。
そういう世界があることすら、自分の人生に想像すらしてなかった子。

そんな子たちの「可能性の扉」が、iPadひとつで拓いて行くかもしれないでしょ?

だけど、iPadもPCもデジカメもボイスレコーダーも、ただのカギでしかないんです。
実際にその扉を拓くかどうか、決めるのは子ども自身。
そして、本当は「開けてから」のほうがよっぽど大事です。

でも、そもそも挑戦するチャンスがあるか、ないか。
この差は大き過ぎます。

今は学校の勉強に興味が持てずにいる長男が、もしも強く学びたいと思うことが見つかって、開けたい扉がある時に、たった「字を書くのが苦手」なことくらいで扉が開かなくて、挑戦するチャンスすら得られずに、ドアの前で諦めて帰ってしまう、なんて、あまりに勿体ないじゃないですか。

カギは(ちょっと高いけど)用意してあげるから、今から使い慣れて開け方を覚えて、この広い世界にはいろんな扉があることを、まずは知らせてあげたい。

学ぶ方法はもっと自由だし、学ぶことはもっと楽しいって気づかせてあげたい。

・・・そんな気持ちでいます。そして、同じように「可能性の扉」が沢山あることに気づいていないお子さんに届くように、カギの使い方を今後も私は発信して行きます。

こういう活動をしていると、稀に、
「母親一人奮闘したところで何も変わらない」「個人でできることには限界がある」なんて、ご意見を頂くこともありますが.・・・私自身はそうでもない気がしています(^-^)

だって、同じような想いを抱いている、お母さんお父さん、先生が沢山いるんだもの。

私はあんまり「何かを変えよう」という意識で活動している訳ではないのですが、
確かに、時々、広い海の片隅で小石を投げ続けているような気持ちにもなります。

でも・・・
うちの長男や、似たようなどこかのお子さんが、無限にある「可能性の扉」を拓きたいと思う気持ち自体が閉ざされてしまう前に、私に今できることはやりたいんです。

私が今できることをすれば、長男の「可能性の扉」を拓くチャンスが未来に少し増えます。
そして、長男が歩いた跡には細いかもしれないけど、道ができます。
そうすると、すぐ後に続く、同じ小学校や地域の、似たようなお子さんが少しだけ歩きやすくなるかもしれません。

そうやって、一人一人「できる範囲で、できること」をやっていけば、今、悔しい想いや自分への苛立ち、そしてキラキラした隠れた可能性を抱えている、LDのある子、集団で学ぶことに困難さがある子達を、もっと明るい光の当たる温かい場所に、導いてあげることができるかもしれません。


大昔、海の向こうに、若気の至りで飛び出したピチピチの女子大生がいたように、
今を生きる子ども達が、最良のタイミングに間に合いますように。

「可能性の扉」はどんな子どもにも無限にあります。

そして、うちの子達には、扉の向こうの世界には「なにがあるんだろう?」と、鍵穴からちょっと覗いてみたいと思う気持ちを、大事に育ててあげたいと願っています(^-^)



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2016-03-02

会話に「正解」を探さなくていい。人と話すのが苦手だった私より。

先日、東ちひろ先生とのコラボ講座で、私の人生初の講師として、人前でお話する機会を無事終えることが出来ました。(講座の様子は、参加者の史彩乃さんがこちらのブログでUPして下さっています)

素敵なお花まで頂いて、感激しました(^-^)

私にこんな日が来るなんて、夢のようです。

なぜなら、私は、小学3年生の頃まで、選択性のかんもく(場面緘黙)がある子だったから。

選択性のかんもく、というのは、家などで慣れた人とは話せるけど、それ以外の場所・人ではだんまりになってしまうことです。私の場合、軽くうなづいたり、「うん」とか「はい」くらいは言えたので、意思疎通はでき、さほど問題とはならずに「内向的でおとなしい子」くらいの印象だったと思います。

選択性のかんもくの原因はいろいろと考えられますが、私の場合、当時を振り返ってみると
・自信がなかったこと
・何を話していいのか、「正解」が分からなかったこと
が、あったように思います。

「何を話していいのか『正解』が分からない」というのは、自由な会話(フリートーク)の時間がとても苦手だったんです。実は授業中は、しっかりした声で発言することができていました。
なぜなら、「正解」を言えば良かっただけだから。

先生が「この答が分かる人〜」と聞かれれば、手を挙げて答えていました。
「みすずさん、教科書◯ページを、ここからここまで読んで下さい」と指名されて指示があれば、すらすら読めました。クラスの子達も、授業中は黒板の方を見ているので、視線も気にならなかったように思います。
答がハッキリ分かってさえいれば、国語でも、算数でも、理科でも、社会でも、大丈夫でした。

・・・でも、休み時間や登下校中のお友達との話は、「正解」が見えず、何を話していいのかさっぱり分からなかったので、自由に話していい時間は「ひたすら耐える」苦行でした。
だから、休み時間のほうが、授業中よりも緊張して過ごしていました(^-^;)

そんな私でも、あることをきっかけに少しずつ話せるようになったんです。
それは、小3当時の担任の先生の一言。
授業中、指名されて教科書を音読した時間の後、休み時間に先生がふと、

「みすずちゃんの声はいい声だね〜!もっと聞かせて!」

と、言ってくれたんですね。
魔法が解けたように、そのたった一言で「なんだ、声を聞かせるだけでいいのか」って、気が楽になって、最初は先生から、そして徐々に先生の周りに寄って来ている子達とも、という感じで、クラスで話せるようになっていきました。

その時の、先生の言葉で、声に対する小さな自信が生まれたんです。

それでも、人前で話すことや、雑談などには苦手意識があるまま大人になって、今でもお母さん同士の立ち話などは、とりとめがなくて情報量が多くて、ちょっと疲れてしまうのですが、傾聴のスキルを身につけてからは、相づち・うなずき・おうむ返しでなんとかやり過ごしながら(^-^;)、ほどほどに楽しめるようになってきました。

そんな子ども時代を過ごした私が、講師としてお話することになったのですから。

受講料を払い、育児が大変な中時間を作り、遠くからやってきて下さる10人の受講生さんに満足して頂けるよう、講座までの約一ヶ月の間、毎日掃除機かけながら、沢山練習したので、当日は、思ったよりも緊張せずに、自然な形で皆さんの前で、最後まで無事、お話をすることができました(^-^)

でね。
今、人と話すのが苦手、と感じている子や大人の方に、かつて選択性のかんもくのある子だった私から、伝えたいことがあります。

*****

今、人と話すのが苦手な子・方へ(そして、小学生の頃の私へ)


無理に「正解」を話そうとしなくていいんですよ。
実は、人と人との会話に「正解」ってないんです(衝撃の事実!)

「人と話すのが苦手」と思う子・方は、きっととても心優しいのだと思います。

誰も傷つけないように、一生懸命言葉を選び、
そして、できるだけ相手の期待する「正解」を答えようとして、
言葉が出てくるまでに、すごく時間がかかってしまって、

ましてや、それがグループでの会話で、何人も同時に進んで行くとなると、
誰を見たら良いのかも分からないし、誰に返したらいいのかも分からないし、
せっかく「正解」らしきものを思いついても、

その間に会話はどんどん進んで、別のお話になっていて、
切り出すタイミングも分からなくて、今頃言ったら雰囲気が壊れるかも・・・なんて、
結局言葉を飲み込んでしまっているのかもしれません。

でもね。
実は、他の子・人達って、「正解」を知りたいわけではないんです。
大抵は、自分の話を聴いて欲しいんです。
だから、「うん」とか「ふーん」とか、うなずくだけで充分。それで100点なんですよ。

自分の話を聴いて欲しい人には、あなたのように黙って聴いてくれる人が必要なんです。

そしてね。
自分の意見を聞かれた時も、授業中以外は「正解」を答えなくていいんです。
あなたの素敵な声を聞かせてあげれば充分。それで100点なんです。

もし、「私はこう思うよ」って言えたら、300点!
そして、あなたがどんなことを話したとしても、自分の思ったことを正直に言えたのなら、それが「不正解」になることはありません。

「正解」はそれぞれの人の心の中にあります。

あなたの「正解」は、あなたの心が決めるし、
相手の人の「正解」は、相手の人の心が決めます。
そして、心は一人一人、人の数だけ、全部違います。

だから、どんなに言葉を選んでも、同じ答にはなりません。
自分の「正解」と、相手の「正解」が違っていても、それが当たり前で、
その違いを楽しむのが、会話というものなんだと思います。

あなたに話しかけてくる人は、
自分の話を最後まで聴いて欲しいだけか、
あなたの素敵な声が、ほんのちょっと聞きたいだけか、
優しいあなたに興味があって、自分との違いを知りたいだけなんです。

でも、自分の心がよく分からないうちは、無理に話さなくても大丈夫です。

優しいあなたは、誰よりもまず、自分の心の声をよく聴いてあげて下さいね。
自分の心は、何が好きで、何が嫌いで、どうしたいのか、どう思っているのか。

よく知らない子・人と、そんなにお話出来なくてもいいから、
今は、自分の心と、できるだけホンネで話せれば、それで大丈夫です。

そして、もし、自分の心の声がはっきりと聴こえてきたら、
自然と、だれかにそれを伝えたくなるかもしれません。

それから、人を傷つけないように心配りができて、人のためになることを考えてあげられて、できない人の気持ちが分かって、相手に合わせてあげられる・・・

そんな優しいあなたを必要としている人が、
いつか、どこかで、待っているのかもしれませんね。


人と話すのが苦手だった、楽々かあさんより。


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