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2015-12-28

凹を大事にすると、人に恵まれる

Facebookで先日シェアした「凸凹変換表」で、凹(自分の欠点、短所、苦手なことなど)は見方を変えると凸(長所、いいところ、得意なことなど)になることをお伝えしましたが、もう一つ、伝えきれなかった大事なことがあります。

それはね。
自分の「凹」を認めて、大事にすると、いいことが沢山ある、っていうこと。

自分の凹は、いろんな人とつながる鍵穴のようなもの、ジグソーパズルのピースの凹みの部分のようなもの、と思ってみて下さい。

欠点や苦手なことがコンプレックスになってしまって、どうしてもそれを人に見せないように、悟られないように、頑張って取り繕って、凸しか表に出さずに「完璧」を演じてしまうとね、文字通り「つけいるスキがない」「取っ付きにくい」「近寄りがたい」印象がしてしまいます。

「完璧に見える人」は、自分一人で全て完成しているように見られがちなので、誰の力も必要としていないように受け取られ、孤独に陥りやすいと、ずっとそういうタイプだった私は思います(実際にはあんまり隠しきれてませんでしたが...^-^;)。

今では私は、「誰にも理解されていない」と孤独を感じることが多くなったら、「もしかしたら、一人で頑張り過ぎていて、凹の出し方が足りていないのかも」と思うようになりました。

ツルツルピカピカで、固くて重いボーリングの球だって、穴が空いてるからこそ、人を楽しくするんです。(もし、あの穴がなければ、結構取り扱いに困ると思います^-^;)

自分の凹を覆い隠さずにオープンにすると、それを補う凸の鍵を持つ、家族や友人、仲間、パートナー、理解者・支援者が、身近にいることに気がつきます。
相手も「自分が必要とされている」「何かできることがある」気持ちがするので、近づきやすくなります。

凹を大事にすると、人に恵まれるんです。

例えばね。
素人の一母親である私が、もうすぐ初めて出版することになりますが、そのようなお話が頂けたのも、私の不完全な凹があったからだと思っています。

ひとつには、うっかりミスで「声かけ変換表」の画像に名前を書き忘れたことが、Netでの拡散の一助になったこと。

もう一つは、それを見てすぐに、夜行バスに乗って地方まではるばるスッ飛んできてくれた、編集プロダクションのOさんのお力を得られたこと。

このOさん、私にはないものを沢山もっている方で、(ちょっぴり、うちの長男と同じニオイがするのですが・・・笑)、素晴らしい行動力と社交性があり、腰が重くて人付き合いの苦手な私に替わって、一年間くらい、根気づよくあちこちの出版社を、足を使って、交友関係を頼りに、探し回って下さったんです。

いくらNetで話題になったとは言え、何の実績も肩書きもない、素人の一母親、ましてや、「発達障害育児」という、かなりデリケートな分野を扱う本ともなれば、理解のある出版社を見つけるのは、そんなに簡単なことではなかったと思います。

そうしたら、たまたまOさんのお友達のポプラ社の編集(こちらも同じく)Oさんが、「声かけ」だけではなく、HPの端っこに書かれていた、私の家族構成そのものに興味を持って下さり、「育児のアイデア満載の、辞典みたいな本を出しましょう!」って、お話になったんです。(こちらのOさんは、なんとなく次男タイプで、我慢強く、相手に合わせて下さる方です)

執筆の過程でも、二人のOさん(私もOさんですね^-^;)と一緒に、得意な分野ではこだわりつつも、苦手な分野ではフォローして頂きつつ、なんとか来月の発売日に間に合うように、最後まで作業を終えることができました。

おかげさまで、本当にいい本ができたと思っています(^-^)

本の話だけでなく、不思議なことに、最近本当に私にないものを持った方と、縁ができることが多いんです。

もしかしたら、これまでも本当はそういう方は身近に沢山いたのかもしれませんが、私が「自分でできます」「一人で大丈夫です」と、がんばっていたから、その人が凸の鍵を持っていることに、気づかなかっただけかもしれません。

素直に
私、こういうこと苦手なんですよね」とか、
「いつもこんな失敗ばかりしちゃってるんです」と、

自分の凹や、それによって失敗した経験を、大事に、そしてオープンにすることで、そこに力を貸してくれたり、親しみを感じて人が寄って来てくれます。
だんだんと、なんでも孤軍奮闘しなくて済むようになってきました(^-^)

そうするとね。
自分の持つ凸のほうも、人と比べて優越感を感じるためのものではなくて、「誰かを助けられる、私しか持っていないカギ」のように思えてくるんです。
そう思うと、今まで遠慮してできなかったことが「よければ、私やりましょうか?」と言えるようになってきたんです。

凸と凹、両方あって回っていく歯車なんだと思います。

凸も、凹も、私の大切な財産です。

2015-12-22

凸と凹はどっちも大事。克服するのは別のこと

今まで、うちの子達の育児・家庭療育をできる範囲でやってきて、実感して思うことは、「凸だけ、凹だけの子はいない」ということです。
凸と凹は表裏一体で、ワンセット。光と影とか、陰と陽とか、そういうのと同じことで。


次男・作「うたうたいよう」


そして、どれだけ育児や療育をがんばってみても、子どもは親の理想どおり、完璧な子にはならないんですよね。

例えばね。

私は、次男の引っ込み思案で、イヤなことがイヤと言えないところが心配なんです。だから、自己主張できたり、「怒る」という感情を出せた時には、ほめています。

一方で、自己主張の強い長男は、人とぶつかりやすく、自分勝手なのが心配。だから、「もっと周りを見て」と声かけし、譲れたり、妥協できたら、ほめています。

あれ?

・・・ということは、私が思う、弟の目指す状態は兄であり、兄の目指す状態は弟、ってコトにならない???

勿論、最低限の自己主張ができる、妥協ができる、というのは、生きづらい人生を送らないためにも、必要なスキルだと思うので、今後も同じようにやっていくけれど、今のままでも、そんなに悪くはないっていうか、こちらの見方を変えるだけで、

周りの人の気持ちや都合を考えて、譲ってあげられる次男。
自分の意見や、感情を正直に、粘り強く伝えられる長男。

これはこれで、素敵な長所なんじゃないの?

そう気づくと、苦手克服はそんなに頑張らなくていい、と思えるんです。

もしも、私が一生懸命子ども達の凹を、しらみつぶしに欠点克服させたとしたら・・・
そしたら、同時にこんなにいいところ、素敵なところも消えてしまうんじゃないかな。

だから、苦手なことは、自立に必要なことと、人に大きく迷惑をかけない程度の、最低限のギリギリラインで、道具や自己管理で工夫して、上手につき合えばいい。

凸と凹、どっちも大事、どっちも大切なんです。

でもね。私はどうしても克服する必要があることが1コだけあるとすれば・・・

それは「自信のなさ」です。

自信がないと、せっかくの素晴らしい凸も凹も、のびのびと伸びていかないし、元々持っている力すら充分に発揮できないと感じます。

じゃあ、「自信のなさ」ってドコから来るのか、というと、私は、
「今のままの自分ではダメだ」という気持ちだと思うんです。

ということは、子どもが「今のままでも、結構いいじゃんオレ」って思えるように、私のほうが見方を変えて、凸も凹も、両方大事にしてあげて、そのまま受け入れてあげられる気持ちになることが、まずは大事で。

そのためには、私も、(例え今どれだけ目の前に課題が山積みであっても!)「私も、うちの子もこれでいいんだ」って、今のままの状態をそのままでも認めてあげられるようになった時から、いろんなことが、ちょっとずつ良い方向へ動き始めていくように思います。

肩の力を抜く、というのは、「このままでも充分OK」って思えることなんじゃないかな。

お子さん、そして、お母さん自身の、凸も凹も、どっちも大事に、大切にしてあげて下さいね(^-^)