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2016-01-16

「みんなと違う」から、自分の場所ができる!


遅ればせながら、新年初ブログです。
今年は、おかげさまで念願の出版が年頭で叶い、良い年になりそうな気がしています。



約六ヶ月間、私の持っているもの全て出し切って、全力で本を書きました。
(おかげでちょっとやせました!今戻してますが...^-^;)
全力出し過ぎて、大幅にカットになった部分もありますが(笑)、そちらは今後このブログなどで、ゆっくりご紹介できればと思います。

私は今まで、全力を出さないように生きてきました。

それは、「みんなと違う」と思われるのが嫌だったから。

もともと内気で目立つことをするのが苦手でしたが、
高校生の頃、小さな世界で、自分のもつ得意な凸の部分で、ちょっとだけ目立ってしまったことがありました。

その時に、仲間から「私たちとは違うよね〜」と、何気なく言われた一言に、思春期の私は大きく傷ついてしまったんです。

もしかしたら、友人は「すごいね」って、ほめる意味で言ってくれていたのかもしれませんが、当時の私は「あなたは私たちの仲間じゃない」「フツーじゃない」という意味で受け取り、お風呂の中で「なんで私はこんなにみんなと違うんだろう」と苦しくなって、泣きました。

そんな私の心を見透かすように、当時の恩師が

「美鈴は、自分の個性を本当に大事にしろよ」

と声をかけてくれ、その言葉に随分救われましたが・・・

それから私は(元々の性格もあるけれど)、目立ち過ぎないように、出過ぎないように、出る杭は打たれないように、「ほどほどのところまでで頑張る」ような、思考と行動のクセを自分でつけてしまい、いろんなことに挑戦してみたけれど、周囲にちょっとだけ認められたり、ある程度評価されたら、それで満足してしまって、いろんな言い訳をつけて、諦めたり、投げ出したり、他のことに夢中になることで、中途半端なまま逃げてしまって、何一つ芽が出ませんでした。

自分の中の小さな壁がどうしても乗り越えられなかったんです。

でも、育児だけは「や〜めた!」ってワケにはいかないので、自分なりの工夫を続けながら、同じように大変な思いをしているお子さん、そしてお母さんを、少しでも楽にしてあげたい、という思いから、自分の凸凹を活かしてNetで発信を続け、今回の出版の機会を得ることができました。

人生40年目でようやく、全力を出して、自分の凸を(そして、愛すべき凹も一緒に)形にすることができたんです。
高校生の頃できた小さな壁を、やっと20数年後に乗り越えられました。

そして、「私の凸凹がどこかで誰かの役に立つ」という喜びのことを、「生きがい」というのだと気づきました。ここに私の場所ができたんです。

実は、私と似た所のある次男も、今、ほどほどのところでいい、と思っている様子です。
(周りを気にしない長男は、個性全開でいつも独走体制ですが、、、^-^;)

シャイで、目立つことを好まない次男は、自分で「こんくらいまで」と、ラインを決めて、それ以上はワザとがんばらないようにしていることを、私も、次男を良く見ている塾の先生も気づいています(多分、出過ぎて打たれる兄の姿を、毎日間近で見ているからでしょうね...^-^;)。

それを乗り越えるか、乗り越えないか、決めるのは次男のお仕事だけど、
親としては、やっぱり、「出過ぎないよう、打たれないよう、生きなさい」とは言いたくはないんです。

「みんなと違う」ことを畏れる気持ちは、「孤独になる」ことを畏れているからだと思います。

私も昔、「私たちとは違う」と言われた時に、一番苦しかったのは、その集団での居場所のなさを感じたことと、ありのままの自分では、仲間として受け入れてもらえない気がしたからでした。

そして、出過ぎないように凸を抑え、目立たないように凹を隠し、なるべくフツーに見えるように振る舞ってみても、どうしても不自然な上、自分自身が更に「みんな」との細かな違いに気づいてしまうようになって、とっても苦しかったんです。

でもね。
昔の小さなつまずきをようやく乗り越えたばかりの私が、今同じようなことを気にしている次男に言ってあげたいのは・・・

「みんなと違うから、誰かの役に立つことができるし、
必ず◯次郎にしかできないことがあるから、そこに自分の場所ができるんだよ」

ということです。
これは、「凸凹さん」でなくても言えることだと思うし、別にそれが、特別に突出するようなことでなくても、偉い人や有名人になるようなことでなくてもいいんです。

考えてみれば、当たり前のことですが、みんなが皆、同じ体質で、同じことを考え、同じことだけしてきていたら、人類はとっくに滅んでいるはずです。
みんな、ちょっとずつ違う体質で、違うことを考え、違う行動をすることが「みんなで生きる」ために必要だから、どんな生き物にも個体差=「個性」があるんです。

「みんなと違う」ということは、「みんなのために必要」なことなんです。

これは、学校や、仲良しグループなんかの、小さな世界でも同じことです。
みんなが皆、同じことを考え、同じようにふるまっていたら、そのグループ自体、ちょっとしたきっかけで、消えてしまいます。
誰にでも凸凹はあるので、「みんなが」自分の個性を抑えて、集団に無理に合わせていても、ますます小さな違いが気になり苦しくて、それぞれが孤独になるだけだし、そのうち全体が疲れてしまうと思います。

だから、「みんなと違う」ことで、もし居場所のなさを感じている人がいたら、凸でも凹でも、「自分にしかできないこと」を大事にしたらいいと思います。

私の恩師が言ってくれたように、

「自分の個性を本当に大事にする」

ことで、必ずその人は、その場所でなくてはならない人になります。
誰かに必要とされ、かけがえのない、替わりのいない大事な人になります。
周りに無理に合わせないほうが、孤独ではなくなるんです。

自分の場所は、「みんなと違う」からできるんですよ(^-^)



補足:もし、どうしても「違い」を受け入れられない狭い世界で、疎外感を感じて苦しい時は、窓の外を見ながら、テキトーに心の距離をとっていれば、大抵はそのうち自然解散すると思いますよ!(まあ人生に使える時間は限られているので、離れられるならそのほうが良いと、私は思いますが・・・クラスや職場では、そう簡単にはいきませんよね〜^-^;)