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2016-05-30

「努力では乗り越えられない壁」と「努力でギリギリ乗り越えられてしまう壁」

著書「発達障害&グレーゾーンの3兄妹を育てる母の毎日ラクラク笑顔になる108の子育て法」
p12-13「発達障害・グレーゾーンの解説用イラスト」より

得意なことの凸と、苦手なことの凹の差が大き過ぎて、本人と環境の間に、「努力では乗り越えられない壁」があることを、「発達障害」というのだと私は考えています。

だから、どんなにがんばっても、あまり漢字を覚えられない長男には「障害」があるので(最近、ようやく「九九」が覚えられました!^-^)、iPadの持ち込み等の「合理的配慮」をお願いするなど、理解と支援をお願いしながらやってきました。

支援級に転籍してからは、長男は学校がかなり楽しくなったようです。

でもね。

私が、今、一番気にしているのは、次男のことなんです。

次男は、以前兄と一緒に専門病院で診て頂いた時には、「自閉症の範疇にあると思われる」という、「診断」と言っていいかどうか分からない、あいまいな見解を頂いた、いわゆる「グレーゾーン」の子です。

次男は、兄とは対照的に、真面目で控えめで、今まで目立ったトラブルなどもなく、学校の授業にもほどほどについていけ、先生に言われたことや学校のルールはしっかり守れ、友だちとも仲良く遊べる、一見、何の問題もない子です。

・・・ですが、兄と同じように、聴覚と触覚の感覚の過敏性があり、疲れやすい体質で、知能検査でも、兄ほどではないけれど、得意なことと苦手なことの明確な差があります。

そして、時々疲れを溜めては、なんとなく学校を休みたがる、とか、特にいじめなどのはっきりした理由はないけれど、朝、腹痛を訴えてトイレから出て来ない、なんてこともあります。

これはね、「頑張り過ぎ」が原因だと私は思っています。

グレーゾーンの子は、目に見えるようなはっきりした「障害物」があるわけではないけれど、結構な凸凹道を毎日、めちゃくちゃ努力しながら、歩いているんです。


つまり・・・

「努力でギリギリ乗り越えられてしまう壁」があるんです。


これは、本人は、一見当たり前のような「皆と同じこと」をするために、本当に、本当に、よく頑張っているんです。

そして、時々疲れを溜めてしまう。


例えば・・・

授業中に出された課題やプリントが終わらない時は、長男は書かずに白紙で持って帰るのに、次男は休み時間を休まずに続け、なんとか終わらせようとしてしまう(先生が、「もういいよ」と言っても、本人ががんばってしまうようです)。

友達とトラブルがあれば、長男は言葉や手が出て、目に見える形で表現するので、周囲が調整に入り解決できることが多いのに対して、次男は言えずに黙っていて、一人でガマンしてしまう。

イヤなことがあれば、長男は「イヤなものはイヤだ!」と断固拒否したり、話し合って多少は妥協できたりするけれど、次男は何も言わずに、誰も責めずに、お腹をこわしたり、食欲をなくしたりする・・・

いじらしいくらい、本当に、真面目で、優しくて、がんばりやの子なんです。

だから、私は、この子にも、周囲の理解と支援が、ほんの少しだけ必要だと思っています。

先日、次男のことで担任の先生と面談をして来ました。私は、次男はほんの少しの理解と配慮で、通常学級で充分やっていけると、思っています。
(この時の、具体的な配慮のお願いの仕方などは、Facebook記事「サポート・シート」参照

それぞれにある「壁」の高さと同様に、
次男には、お兄ちゃんほどの、目に見えるような「特別な支援」「特別な配慮」は必要ないし、本人も目立つことや「皆と違う」ことを嫌がるので、「さり気ない支援」「さり気ない配慮」をお願いしました。

感覚の過敏性による負担感などは、他の人にはなかなか想像しにくく、言わなければ伝わらないものですが、学校では、「先生だけでも分かってくれている」ということだけでも、次男の気持ちは違ってきます。

そして・・・

なるべく家で休めるようにケアしてあげる。
疲れが溜まって来たら、多少のことは大目に見てあげる。
頑張り過ぎている時には、「ドクターストップ」を出す。
当たり前のように頑張っていることを「がんばったね」って認めてあげる。

・・・こんなことをしてあげることで、頑張り過ぎのグレーゾーンの子の負担感を減らすことができます。

「おかあさんだけでも分かってくれている」ことだけでも、違ってくると思います(^-^)


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2016-05-09

長男が「空気が読めない」のは、心と表情が違う子が増えたから・・・?

長男は「空気が読めない」と言われます。
実に間が悪く、相手の気持ちを勘違いして、「全開でGO!」サインが出て、その場の雰囲気を壊してしまうことがあります。

本人も時々「オレ、そう言うの分かんないんだよね」とお手上げだったり、
「オレの勘違いヤロー!!」と自分に腹を立てたりしています。

その理由には、
・好奇心が強く、いろんなものに目がいってしまい、状況に気づかない
・好きなことに集中しているor頭の中で考えている時は、周りが見えない

・・・など状況判断の苦手さがあって、これは「今、◯◯する時だよ」などの声かけで気づかせ、周りを見るように促しています。

もう一つ考えられる理由に、
・表情の読み取りが苦手
・共感力の弱さ

・・・が考えられますが、これは最近はちょっと疑問に思っています。

視覚情報に発達の凸がある彼は、元々は、形の認識はすごく得意な分野だし、長男には優しい所もあって、決して「相手の気持ちを考えない」という訳ではないからです。

そして、私はいつも、うちの子達に言葉と表情の両方で、分かりやすいコミュニケーションを心がけているのですが・・・

「お母さん、嬉しいな」とか「お母さん、それはイヤだな」とか、気持ちをその都度言葉にして、声のトーンも使い分けながら伝えるとともに、欧米人か幼稚園の先生になったつもりで、ややオーバー気味に、嬉しい時には笑って、不愉快な時にはしかめっ面をして、はっきりと気持ちを表現して伝えています。(伝えたいことが伝わり易いコツは、感情をそのままぶつけるのではなく、気持ちを整理して正確に伝える、ということです)

こうすると、とても分かりやすいようで、長男とのコミュニケーションがスムーズです。
つまり、私の表情をしっかり読み取って、相手を思いやったり、嫌なことはやめてくれたりと、適切な行動ができるんです。だから・・・

長男は決して、表情が読み取れないわけでもないし、共感力が弱いわけでもない。

でも、学校や他の場面で、同じようにスムーズにいかないのはなぜでしょう。

私は、それは「心と表情が違う子が増えたから」だと思っています。

それが、この社会が不要な衝突を避けて、効率よく動くための「暗黙の了解」ではあるのだけど・・・
相手が笑っていれば嬉しいだろうと思い、泣いていれば悲しいだろうと思う、素直過ぎる長男には、複雑怪奇で理解不能なことなのだと思います。

言葉の裏側にあること、なんて想像つかない彼に、それをひとつひとつ教えていくことは、この社会で生きていくためには必要なことだとは思うけど、私には長男が「間違っている」とは思えないんです。

特に子ども社会で、それが「フツー」なのだとしたら・・・

大人になれば・・・仕事のため、家族のため、生活のために、
苦手な相手にも、「ありがとうございます」と、にこやかに笑顔を見せ、
どれだけ相手が悪くても、「申し訳ございません」と、沈痛な面持ちでお詫びをし、
内心ハラワタが煮えくり返っていても、プライドを捨てて、「お願いします」と、爽やかに頭を下げることもあるでしょう。(そしてオトナはストレスを溜めていくワケですが・・・^-^;;)

でもね。子どもはさ。

嬉しい時にはケタケタ笑って、悲しい時にはわんわん泣いて、腹が立ったら全身で暴れるのが「フツー」じゃないの?

嬉しい時でも平静を装って、悲しい時でも曖昧に笑って、腹が立っても口の端をきゅっと結んで、物わかり良く自分の気持ちを引っ込める。泣きたい時には泣かないで、泣かなくてもいい時に上手に泣いてみせる。

表情から感情を相手に読み取られないように、一生懸命努力して、
でも、隠している気持ちは、言わなくても察して欲しい。分かって欲しい・・・
そんな子が、随分増えているような気がします。

勿論、心と表情が一致している、感情表現の素直な子も沢山います。
きっと、発達障害がなくても、親に、凸も凹も認められ、ネガティブな感情も受け止めてもらえ、100点でも0点でも愛されている実感が持てている子なのだと思います。

でも・・・
楽しい時、ある子は笑うのに、ある子はそうでない、とか。
腹が立つ時、ある子は怒るのに、ある子は違う、とか。

・・・表情=感情と、ストレートに受け取る長男にしてみれば、ワケワカンナイだろうな、と思います。

そんな心と表情が一致していないお子さんの、ビミョー過ぎる表情の裏側にある気持ちを察することができなければ、「空気が読めない」ってコトになるけど・・・

そんな空気、うちの子が読めるかッ!

ハードル高過ぎるわ!

今読んでいる本によれば、長男のように感情が素直に表情に出る子は、心が健康なのだと受け取っていいようです。そして、成長とともに、がまんする力もついてくるのだそうです。(参考:「怒りをコントロールできない子の理解と援助」大河原美似・著/金子書房)

でも・・・

「心が健康だから、子ども社会に適応しにくい」って、なんだかおかしいでしょう?

子どもが子どもっぽいのって、当たり前でしょう?

大人からの理解と支援を、心と感覚のケアやSSTを、「特別な配慮」を、本当に必要としているのは、発達障害のある子だけでしょうか?

実は、私自身も小さな頃は、表情から感情を読み取られないように努力していた子でしたが、昔はそんな子は少数派だったんです。だから、クラスの子達に本心を見せていない居心地の悪さがあった。でも、今はそれが「フツー」になっちゃってる感じがするんです。

そんな、手のかからない優等生の「一見、物わかりの良い子達」を見ていると・・・私の今の気持ちはね、ザワザワと腹が立つけど、なんだかすごく哀しいし、お節介かもしれないけど、ちょっと(というか、かなり)心配なんです。

嬉しい時には、お腹を抱えて笑えばいいじゃないの!
ワガママ言って、ダダコネて、かんしゃく起こしたって、いいじゃないの!
泣きたい時には、好きなだけ泣けばいいじゃないの!

あなた達は、子どもなんだから!!

そんなに急いで、大人になることないじゃない!

(・・・でも、そんなこと言われても、今はそうするしかないんだよね。きっと)

子どもが子どもらしくすることを、大人が大らかに受け容れることができたら・・・
どんな子どもも安心して、子どもらしく振る舞えるようになったら・・・

長男にとって、世界はすごく分かりやすくなるでしょう。

でも、私が自分の心と表情を一致させることに、少し時間がかかったように、それは大人にも、子どもにも、そんなに簡単なことではないのかもしれません。

どんな子も、泣いて笑って、いっぱいワガママ言って、大人を困らせて、せっかくの一生に一度しかない子ども時代を、思いっきり楽しんで欲しい・・・って、祈るような気持ちでいます。


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