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2016-06-24

「今が100点」からスタートする。療育を頑張り過ぎて疲れているお母さんへ。

先日、ABA療育がNHKのテレビ番組で取り上げられ、話題になっているようですが・・・(私は思いっきり見逃してしまいました!すみません^-^;)

参考:2016.6.22放送 NHK あさイチ「ほめて伸ばす!子どもの発達障害」

※以降の記事は、「支援級か、通常学級か」で迷われているような親子さんを対象に想定しています。より深刻な重度の言葉や知的な心配のある自閉症のお子さんなどへの療育については、私の想像できる範囲を超えているので、書けません。

ABA療育は、私はいいとこ取りで、日常生活の中で自然な形で、普段の声かけやポイント手帳などで、エッセンスを無理なく取り入れているだけで、トレーニング的なことは一切やっていません。(だって、毎日大変だもん!)

それ以外の療育も、子ども達が勝手に、自動的に、知らず知らずやってしまうように、なるべく私の手間がかからないように、トラップを仕掛けたり、日常生活や遊びの延長でやっているので、うちの子達は「療育されている」ということに、全く気づいていません(私も忘れています)。

まあ、長男だけは、告知もしているし、LDだけは最低限のことだけでもなんとかしてあげたいので、「おい、のび太〜!野球やろうぜ〜!」と誘うジャイアンのように、宿題の前に「さあ、◯太郎の中の、のび太を鍛えるゾ〜!」と誘って、ワークブックや、ビジョントレーニングアプリに5分程度軽く取り組むこともあります。

でも、そこでできてもできなくても、結果にはこだわらない。
できたら「できたね!」ってほめていますが、できなくても別にいいのです。

最近、療育を頑張り過ぎて疲れているお母さんのお声を、ネットのコメントやメッセージでも、直接の交流のあるお母さんからも、多数頂いていて、心を痛めているところです。

それでも、我が子のできることをなんとか増やそうと、懸命になっているお母さんのお気持ちは、痛いほどよく分かります。私も今までいろいろ頑張って来たほうですから。
だから、もっとがんばれとも、そんなにがんばるな、とも、私には言えません。親にしか分からない気持ち、ありますからね。

とにかく、身体だけは大事にして、自分のこともほめて、時々はお母さんにもごほうび、あげて下さいね(^-^)

ただ、私自身は、かつて、「療育」ではないのですが、次男のアレルギー治療で、私の持てる力を全て捧げて、一生懸命頑張り過ぎて、心の余裕をなくし、大失敗した経験があるので、療育も「できる範囲で、できること」でいい、と思うに至りました。
(この時の話は、著書p.121-の中で、私の心をグリグリえぐり、身を削りながら書いています)


一般的に「療育」という言葉は、「治」+「教」=「療育」という意味ですが、

私は、家庭では、
養(ケア)」+「児」=「療育」と考えています。

・・・つまり、私は、発達障害を治そう、改善しよう、フツーの子にしよう、とは思ってないんです(今は、です^-^;)。その子に合った適切な教育は必要だと思いますが、「療育」を家庭で行う場合、「お母さんにしかできないこと」を優先したほうがいいと思っています。

ただでさえ、毎日本当に基本的なことを、凸凹さんはものすごくがんばってやっています。家では集団生活でかかっている心身の負担をケアし、リラックスさせ、できるだけ休ませてあげれば、「できるようになりたい」という意欲が出て来ることもあります。

「教育」は、先生や、支援者さんもやってくれますが、「育児」はお母さんのお仕事です(勿論、パパもです!父ちゃん、聞いてますか〜!)。
いろんな人の手を借りながらも、お母さんにしかできないことがいっぱいあります。

(だって、物心ついた子に、ぎゅーとか、ちゅーとか、「あなたが一番大好き!」とか、赤の他人がやったら大問題ですからね)

毎日一時間、子どもにしっかりつき合って療育のトレーニングをする、というのは、とても素晴らしいことです。
できることが増えれば、子どもの世界も、可能性も広がりますものね(^-^)

それに、普段仕事や他の兄弟の世話で忙しいお母さん・お父さんが、自分のためだけの時間を作ってくれること自体が、お子さんの何よりの励みになるでしょう。

私も、宿題の時間だけは、兄弟それぞれ、「個別対応」でつき合っています。
(・・・と言っても最近は、そばでウトウトしながら見守っているだけですが...^-^)

でも、同じ一時間を、子どもを自分のひざの上に乗せて、イカフライでも食べながらダラダラ過ごしたとしても、私は同じだけ価値があると思っています(まあ、じっとはしてませんが^-^;)。

日頃の心身の負担から来る疲れを取り、愛着を高め、子どもの心が安定すれば、自分から挑戦したい気持ちも出てきます。

「自然と学ぶ」が難しい子には、決して、何も教えなくていい、ほっといてもいい、ということではありません(ありのままを受け容れることと、何もしないでほっとくことは、全然違います)。やっぱり、いろんなことを少しだけ丁寧に、ひとつひとつ、あの手この手で、ほめたり認めたりしながら、教えてゆく必要はあります。


でもね。

どんなに療育を頑張っても、完璧な子にはなりません。そんな子は一人もいません。

そして、凸と凹はセット。合わせて一人の子です。

凸のほうだけいる、ってことはできません。

例えば、うちの長男の、うっかりして、落ち着きのないところを、私が頑張って欠点克服させたとします。

そしたら、私の心配事は減るかもしれませんが、きっと、好奇心旺盛で、ユニークな発想を持つ、キラキラしたイタズラっ子の目をした彼には、二度と会えなくなります。

「好奇心旺盛」には、モレなく「落ち着きのなさ」がついてきます。バーターです。

子どもがきょろきょろそわそわしている時に、親の頭に、先にどちらの言葉が浮かぶかで、子どもの凸は凹になり、凹は凸になるんです。

まあ、最低限、カギとサイフと命だけはうっかり落とさないよう、自分の凸凹との上手なつき合い方を教え、苦手な凹はモノの工夫で補ったり、人の力を借りられるように、親子で気長く取り組めればOKだと、私は思っています。

(参考ブログ:凸と凹はどっちも大事。克服するのは別のこと


親が、子どもの凸も凹もそのまま受け容れられると、かえって、得意な部分が苦手な部分の成長を引っ張ってくれることもあります。

親も子も、「このままではダメだ」と思っていると辛いです。

それでもやっぱり、子どもの可能性は諦めたくないですよね。
そんな親心は、誰からも責められるべきものではありません。

子どものために頑張るのも悪いことではありません(私も、少年ジャンプを読んで育ったので、頑張るの好きですよ。ただ、スピード違反にならないよう、時々ブレーキも使って、子どもの半歩後ろくらいの位置をキープします)。

もしも、あなたが頑張る姿を見て、誰かが不安や焦りを感じたとしても、それはあなたのせいではありません。

一生に一度の、あなただけの育児です。

他人の目は気にせず、自分の親としての直感を大事に、いいと思ったことを、思った通りに納得いくまでやってみれば、結果に関わらず後悔はしないと思います。

だから、お身体を大事にしつつ、本当にがんばりやのお母さんに私から伝えたいこと。

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療育を頑張り過ぎて疲れているお母さんへ。

今現在、お子さんが無事に生きていること、そして、そんなお子さんをお母さんが今日まで育てて来れたこと、そのこと自体に、まず100点をあげて下さい!

お子さんも、お母さんも、当たり前のフツーの生活をするのに、人10倍頑張ってきたんですから。身支度、登校・登園、食事、入浴、宿題、友だちと遊ぶ・・・こんな毎日の何気ないことが、イチイチ大変なんですものね。

今、無事に生きてるだけで、お子さんもお母さんも100点満点ですよ。

三食食べさせているだけでも(それが、例えボ◯カレーでも、レンジでチン!でも)、既に、充分、頑張っているんです。

だから、他のお子さんができていることを、なんとかできるようにする、皆に追いつく、遅れを取り戻す、というマイナスからのスタートではなくて、

「今が100点」からのスタートです。

その上で、親子で無理なく「できる範囲で」頑張ってみて、もしも、できることがほんの少しでも増えれば、120点、130点なんですよ(^-^)

もしも、療育が全然、期待どおりにできなかったとしても、既に100点。

そして、子どもは、ごはんを食べて寝るだけで、昨日よりも確実に成長しています。


がんばりやだけど、イカフライも大好きな楽々かあさんより。


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