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2017-03-31

強さと繊細さは、同居できるのかもしれない

卒園・卒業のシーズンも一段落。
春休みは宿題もなく、子ども達と一緒に、だらだらと過ごしています。

でも、3月は結構大変でした・・・長男のケアで(^-^;)

長男の5年生最後のお仕事は、卒業してゆく6年生を見送ること。
うちの学校の卒業式は、5年生が準備し、卒業式にも参列することになっています。

ところが、6年生には、長男とソリの合わない子が何人かいて、「なんであんなやつらの卒業式に行かなきゃ行けないんだ!」とご立腹(その間、3年生の弟は休校日というのも、不満に拍車をかけていますが…)。

私は、「心は自由。誰かを好きになるのも、嫌いになるのも、心が決めること」と子ども達に教えているので、「そんなこと言うもんじゃない」とは言わないようにしていましたが、それでも、卒業生にとっては大事な行事。

ところが、というか、やはり、というか。

3月中には何度も予行演習があり、「疲れた」「休み時間が削られた」と不満炸裂。登下校でもトラブル続出。上級生のちょっとした言葉に、つい過剰反応してしまうことが続き、不穏な空気が漂い始めていました(こういう時は、予定少なめで私もスタンバっています^-^;)。

それでも、一応は卒業式に参加することを前提に、どうしたら無事、この試練を終えることができるだろうかと、あの手この手で、長男と話し合いました。

結果、参加することへの、合理的で納得できる理由を伝え、当日の私の送り迎えで負担を減らし、ごほうび設定もして、なんとか「理屈で」解決できる部分は、本人も納得してくれたのですが…

どうしても、「理屈では解決できないこと」もあります。

感情や感覚の問題は、合理的にはゆかないのです。

特に、情報の取捨選択が苦手で、長期の記憶が良い長男は、ちょっとした、視覚的・聴覚的情報をきっかけに、いろんな記憶を思い出して、当時の強い感情が急によみがえってしまうところがあるので…(私と同じ体質ですね〜^-^;)

過去に、上級生に言われてイヤだったこと、腹が立ったことの体験が、まるで、たった今言われたかのように、思えてしまうことがあるんです。

これは「本人の努力では乗り越えられない」ので、先生と連絡帳でやりとりして、「どうしてもムリな時にはどうしたらいいか、『やっていいこと』を本人と相談して頂けないでしょうか」と配慮をお願いしました。

そして、なるべく目立たない席にして頂き、どうしてもその場にいるのがムリと思ったら、先生に退出の合図を送り、静かに黙って体育館を出て良いことにして頂けました。

それでどうにか「参加だけはする」という気持ちになれたのですが、本人の最後のこだわり。

「おれは、絶対、見送りの拍手だけはしない!それだけは、どうしてもできない!」

と言います。先生は「指一本でもいいから」と言って下さっていたのですが、それでも「イヤだ」の一点張り。

んー、久しぶりの発動。
一点を見つめ、思い詰めて、光を失った目をしています。

こうなったら、「こだわりにこだわりで対抗しない」のが、うちのこだわり対応の鉄則なので、「そこに立っているだけで、充分だから」と、式当日の朝、送りの車中で話しました。長男は「約束だよ。夕飯、博多ラーメンだからね!」と、降りて行きました。

心配しつつも、特に学校から連絡もなかったので、予定どおりの時間に、車は卒業生の保護者で混むので、歩きで学校に迎えに行くと・・・

なんと、長男が先生に抱きかかえられて、ぐったりしているではありませんか!

慌てて駆け寄ると、「眠っているみたいです」…と。

保健室を開けて頂き、長男を寝かせながら事の顛末を伺うと、卒業式は、途中何度か退席したものの、その度に少ししたら戻ってきて、最後まで参加できたとのこと。

そして、最後に拍手で送り出し、卒業生が無事、全員門から出た途端、いきなり倒れるように眠り込んでしまったのだそうです。

私は、冷えている長男の手を握りながら、「こんなに負担になるのなら、休ませたほうが良かったかもしれない」と思いました。

だけど、この世界で生きていくには、どうしたって、嫌なこと・面倒なことの全てを避けては通れないし、自分と気が合わない人、ソリが合わない人はどこにだっています。人と関わっていれば、不愉快なこと、気に食わないことを言われる時もあります。

だから、「この子は、こんなに繊細で、この先大丈夫なんだろうか」と、不安になりました。

実際、最近の長男は、言葉に敏感で、デリケートなところがあります。

これは「発達障害」が直接の原因というよりも、他の同じ年頃のお子さん達と同じように、思春期特有の多感さが出始めてきていて、それを体質的な凸凹さが、彼自身の取り扱い方を、よりデリケートで複雑なものにしているように感じます。

昏々と眠る彼を見つめながら、先生とも「学習面は最近本当によく頑張っていて、通常級に戻っても、なんの不安もないのですが、やっぱりこういうところが、まだちょっと心配ですよね…」なんてお話を伺っていました。

ところが、15分くらい立った頃、長男がもにょもにょ目を擦って、ムクっと起き上がり、パチッと眼を開けて、

「よく寝た」と一言。

目には、朝とは違って、少し光が射し込んでいました。

そして、心配して「車で送ろうか」と言って下さった先生に「歩いて帰れます」とだけ言って、さっさと帰り始めてしまいました。

慌てて追いかけた帰り道。

久しぶりに長男と手をつないで、約2kmの道を春の風に吹かれながら歩きました。

そして、長男は私の手をぎゅっと握って、こう言いました。


「かあちゃん、おれね、拍手できたよ」

「でもね。あいつらに拍手したんじゃない。イヤなもんは、イヤだ」

「だけど、おれ、そこに立ってる自分に、拍手したよ」


…今まで私は、強くなることとは、いろんなことが気にならなくなることだと思っていました。

泣き虫の小学生だった私は、亡き母に
「そんなにクヨクヨしてたら、生きてけないよ。気にしなきゃいい。強くなりなさい」
と、いつも心配されていたので、いろんな事がつい気になって、思い詰めてしまうのは、自分の弱さだと思っていました。

実際、私自身は、そんな感覚が敏感で繊細だった子ども時代に比べ、自然な成長と共に、大人になるに連れ、多少過敏性が緩和されて、少しはラクになっていったところもあります。

だけど、この日の長男の姿を見て思ったのは、

強風に吹かれても岩のように微動だにしない…そういう強さもあるけれど、

ほんのそよ風でもざわざわと揺れ動き、大きくしなりながらも、それでもそこに立っている。一旦倒れても、またむくっと起き上がる。

…そういう強さもあるのかな、って。

強さと繊細さは、ひょっとして、同居できるものなのかもしれない、と、私の人生42年目にして、ようやく気づいた出来事でした。





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2 件のコメント:

  1. ごりんごりんご2017/04/15 10:17

    ご長男に寄り添って子育てされている葛藤や学びを
    時系列かつ具体的に伝えて下さり、とても参考になります。
    これからも読ませていただきます。

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    1. ごりんごりんごさん、コメントありがとうございます。本当に、子どもと一緒に悩み、学びながら、一歩ずつ進んでいくしかないですね。読んで下さって、励みになります。ありがとうございます。

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