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2016-08-28

正しいことを言うことが、ベストとは限らない


巷ではポケモンGOが流行っていて、歩きスマホをしている人の事故などが問題になっているようですね。うちはスマホないのでやっていませんが、子ども達は登校日に学校から啓発用のプリントなど、頂いてきました。

これ、ポケモンだけでなく、子ども同士の外出時の注意点なども分かり易くまとめられていて、GOOD!です。一般公開・ダウンロード配布もされています(内閣サイバーセキュリティセンター配布PDF「ポケモントレーナーのみんなへおねがい♪」


それでね。
私は、ルールやマナー違反を自分がしない、ということを子どもに教えるのと同時に、ルールやマナー違反をしている人に、どう対処するのか、ということもセットで教える必要があると思っています。

真面目でまっすぐなタイプの凸凹さんは、ルールに厳しいところもあって、他の人のルール違反が許せない、見過ごせない、という場合があります。

かく言う私も、育児面では、自己訓練の末、かなり大らかに、多少のことは大目にみて、柔軟に考えられるようになりましたが(そうならざるを得なかったのですが…^-^;)、お仕事面でこだわりの強い部分では、職人気質のガンコ親父みたいなところがあるので、どうしても譲れない、許せない、つい相手にも完璧を求めてしまう、なんてことで、結果的に完成度の高い仕事はできても、対人面ではうまくいかないことも多く、まだまだ「生きづらいな」と感じることもあります。

でもね、うちの子達には「処世術」として、現実とのつき合い方を教えています。

ルール違反、マナー違反をしている人を注意してしまうと、トラブルの原因になることもあり、特に相手が大人の場合は、本当に危ないから。

以前、学校で「タバコの副流煙による健康への被害のこと」を聞いて来た後で、長男は「タバコ吸うやつは許せない!」と憤り、コンビニの前でタバコを吸っている男性の目の前で、顔をしかめ、鼻と口を抑え、息を止めて、その人の前を走ってとおり、相手に聞こえる範囲にいる時に「ああー!タバコの煙で死ぬかと思った!」と、大きな声で言ってしまい、睨まれたことがありました。

まっすぐな性格で、空気を読んで黙っているということができず、言われたことをそのまま受け取り易い長男には、

「正しいことを言うことが、ベストとは限らない」

ということを、この社会でサバイバルするために、ひとつひとつ教えて行かなくては、と、この時思ったのです。

これ以来、学校で飲酒運転や薬物、万引きなどの犯罪や、歩きスマホなどマナーに対する啓発的なことを教えて頂く度に、

「でもね、もし、こういう人を見ても、注意しちゃダメだよ。それは警察のお仕事だからね。子どもに注意されると、それが本当のことでも、急に怒り出す大人もいるから、黙ってその人からそっと離れること」

…と、現実的な対応を教えています。

それに、どれだけ自分に正当性があって、正しいことだと主張しても、それをそのまま相手に求めてしまうと、図星を刺してしまって傷つけたり、余計に頑になったり、めんどくさい人と思われたり、恨みや反感を買ったり、理解者が減ってしまったり…と、あんまり得することはありません。(私自身は、真面目でまっすぐな人は大好きなので、うっかりそういう人と、結婚してしまいましたが…^-^;)

まあ、それでも気になってしまうから「こだわり」なのですし、「真面目」「正直」「誠実」などと、長所として見てくれる人もいます。ただ、凸凹さんの場合、自分と相手の考えの境界線があいまいだったりもするので、判断基準にラインを引いて示す、ということも大事です。うちの子達には、以前、「注意レベル表」なども作りました。


「注意レベル表」ダウンロードはこちらのHPより


(私も、お仕事や社交上、判断に迷う時には、「どこまでがOKで、どこからNGですか」というライン引きをお願いすることもあります。ただし、聞く相手によってこのラインも違うので、混乱してしまうこともあります)

世の中は、どんな人にも共通の、法律やルールやマナーや、正確に動く信号機があって守られているから、生活の最低限の安全が確保できる反面、
多少のグレーで曖昧な部分や、見て見ぬフリや、暗黙の了解や、手ごころ魚ごころ水ごころがあって、人とぶつからずに、円滑に動いてもいるんですよね。

曲がったことがキライな人が、曲がったことがキライな子に、この辺の処世術を教えて行くのは、かなり難しいことではあるのですが、気になる行動をとる人がいた時に

「じゃあ、自分はどうするか、今何ができるか」

と、与えられた現実の中で、自分のできることを考えて行くしかないのかな、と思っています。

とりあえず、歩きスマホをしている人とぶつからないよう、うちの子には、

「まず、自分が前をよく見て歩こうね。そしたら、ぶつからずに避けられるから」

と、教えています。



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2016-06-24

「今が100点」からスタートする。療育を頑張り過ぎて疲れているお母さんへ。

先日、ABA療育がNHKのテレビ番組で取り上げられ、話題になっているようですが・・・(私は思いっきり見逃してしまいました!すみません^-^;)

参考:2016.6.22放送 NHK あさイチ「ほめて伸ばす!子どもの発達障害」

※以降の記事は、「支援級か、通常学級か」で迷われているような親子さんを対象に想定しています。より深刻な重度の言葉や知的な心配のある自閉症のお子さんなどへの療育については、私の想像できる範囲を超えているので、書けません。

ABA療育は、私はいいとこ取りで、日常生活の中で自然な形で、普段の声かけやポイント手帳などで、エッセンスを無理なく取り入れているだけで、トレーニング的なことは一切やっていません。(だって、毎日大変だもん!)

それ以外の療育も、子ども達が勝手に、自動的に、知らず知らずやってしまうように、なるべく私の手間がかからないように、トラップを仕掛けたり、日常生活や遊びの延長でやっているので、うちの子達は「療育されている」ということに、全く気づいていません(私も忘れています)。

まあ、長男だけは、告知もしているし、LDだけは最低限のことだけでもなんとかしてあげたいので、「おい、のび太〜!野球やろうぜ〜!」と誘うジャイアンのように、宿題の前に「さあ、◯太郎の中の、のび太を鍛えるゾ〜!」と誘って、ワークブックや、ビジョントレーニングアプリに5分程度軽く取り組むこともあります。

でも、そこでできてもできなくても、結果にはこだわらない。
できたら「できたね!」ってほめていますが、できなくても別にいいのです。

最近、療育を頑張り過ぎて疲れているお母さんのお声を、ネットのコメントやメッセージでも、直接の交流のあるお母さんからも、多数頂いていて、心を痛めているところです。

それでも、我が子のできることをなんとか増やそうと、懸命になっているお母さんのお気持ちは、痛いほどよく分かります。私も今までいろいろ頑張って来たほうですから。
だから、もっとがんばれとも、そんなにがんばるな、とも、私には言えません。親にしか分からない気持ち、ありますからね。

とにかく、身体だけは大事にして、自分のこともほめて、時々はお母さんにもごほうび、あげて下さいね(^-^)

ただ、私自身は、かつて、「療育」ではないのですが、次男のアレルギー治療で、私の持てる力を全て捧げて、一生懸命頑張り過ぎて、心の余裕をなくし、大失敗した経験があるので、療育も「できる範囲で、できること」でいい、と思うに至りました。
(この時の話は、著書p.121-の中で、私の心をグリグリえぐり、身を削りながら書いています)


一般的に「療育」という言葉は、「治」+「教」=「療育」という意味ですが、

私は、家庭では、
養(ケア)」+「児」=「療育」と考えています。

・・・つまり、私は、発達障害を治そう、改善しよう、フツーの子にしよう、とは思ってないんです(今は、です^-^;)。その子に合った適切な教育は必要だと思いますが、「療育」を家庭で行う場合、「お母さんにしかできないこと」を優先したほうがいいと思っています。

ただでさえ、毎日本当に基本的なことを、凸凹さんはものすごくがんばってやっています。家では集団生活でかかっている心身の負担をケアし、リラックスさせ、できるだけ休ませてあげれば、「できるようになりたい」という意欲が出て来ることもあります。

「教育」は、先生や、支援者さんもやってくれますが、「育児」はお母さんのお仕事です(勿論、パパもです!父ちゃん、聞いてますか〜!)。
いろんな人の手を借りながらも、お母さんにしかできないことがいっぱいあります。

(だって、物心ついた子に、ぎゅーとか、ちゅーとか、「あなたが一番大好き!」とか、赤の他人がやったら大問題ですからね)

毎日一時間、子どもにしっかりつき合って療育のトレーニングをする、というのは、とても素晴らしいことです。
できることが増えれば、子どもの世界も、可能性も広がりますものね(^-^)

それに、普段仕事や他の兄弟の世話で忙しいお母さん・お父さんが、自分のためだけの時間を作ってくれること自体が、お子さんの何よりの励みになるでしょう。

私も、宿題の時間だけは、兄弟それぞれ、「個別対応」でつき合っています。
(・・・と言っても最近は、そばでウトウトしながら見守っているだけですが...^-^)

でも、同じ一時間を、子どもを自分のひざの上に乗せて、イカフライでも食べながらダラダラ過ごしたとしても、私は同じだけ価値があると思っています(まあ、じっとはしてませんが^-^;)。

日頃の心身の負担から来る疲れを取り、愛着を高め、子どもの心が安定すれば、自分から挑戦したい気持ちも出てきます。

「自然と学ぶ」が難しい子には、決して、何も教えなくていい、ほっといてもいい、ということではありません(ありのままを受け容れることと、何もしないでほっとくことは、全然違います)。やっぱり、いろんなことを少しだけ丁寧に、ひとつひとつ、あの手この手で、ほめたり認めたりしながら、教えてゆく必要はあります。


でもね。

どんなに療育を頑張っても、完璧な子にはなりません。そんな子は一人もいません。

そして、凸と凹はセット。合わせて一人の子です。

凸のほうだけいる、ってことはできません。

例えば、うちの長男の、うっかりして、落ち着きのないところを、私が頑張って欠点克服させたとします。

そしたら、私の心配事は減るかもしれませんが、きっと、好奇心旺盛で、ユニークな発想を持つ、キラキラしたイタズラっ子の目をした彼には、二度と会えなくなります。

「好奇心旺盛」には、モレなく「落ち着きのなさ」がついてきます。バーターです。

子どもがきょろきょろそわそわしている時に、親の頭に、先にどちらの言葉が浮かぶかで、子どもの凸は凹になり、凹は凸になるんです。

まあ、最低限、カギとサイフと命だけはうっかり落とさないよう、自分の凸凹との上手なつき合い方を教え、苦手な凹はモノの工夫で補ったり、人の力を借りられるように、親子で気長く取り組めればOKだと、私は思っています。

(参考ブログ:凸と凹はどっちも大事。克服するのは別のこと


親が、子どもの凸も凹もそのまま受け容れられると、かえって、得意な部分が苦手な部分の成長を引っ張ってくれることもあります。

親も子も、「このままではダメだ」と思っていると辛いです。

それでもやっぱり、子どもの可能性は諦めたくないですよね。
そんな親心は、誰からも責められるべきものではありません。

子どものために頑張るのも悪いことではありません(私も、少年ジャンプを読んで育ったので、頑張るの好きですよ。ただ、スピード違反にならないよう、時々ブレーキも使って、子どもの半歩後ろくらいの位置をキープします)。

もしも、あなたが頑張る姿を見て、誰かが不安や焦りを感じたとしても、それはあなたのせいではありません。

一生に一度の、あなただけの育児です。

他人の目は気にせず、自分の親としての直感を大事に、いいと思ったことを、思った通りに納得いくまでやってみれば、結果に関わらず後悔はしないと思います。

だから、お身体を大事にしつつ、本当にがんばりやのお母さんに私から伝えたいこと。

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療育を頑張り過ぎて疲れているお母さんへ。

今現在、お子さんが無事に生きていること、そして、そんなお子さんをお母さんが今日まで育てて来れたこと、そのこと自体に、まず100点をあげて下さい!

お子さんも、お母さんも、当たり前のフツーの生活をするのに、人10倍頑張ってきたんですから。身支度、登校・登園、食事、入浴、宿題、友だちと遊ぶ・・・こんな毎日の何気ないことが、イチイチ大変なんですものね。

今、無事に生きてるだけで、お子さんもお母さんも100点満点ですよ。

三食食べさせているだけでも(それが、例えボ◯カレーでも、レンジでチン!でも)、既に、充分、頑張っているんです。

だから、他のお子さんができていることを、なんとかできるようにする、皆に追いつく、遅れを取り戻す、というマイナスからのスタートではなくて、

「今が100点」からのスタートです。

その上で、親子で無理なく「できる範囲で」頑張ってみて、もしも、できることがほんの少しでも増えれば、120点、130点なんですよ(^-^)

もしも、療育が全然、期待どおりにできなかったとしても、既に100点。

そして、子どもは、ごはんを食べて寝るだけで、昨日よりも確実に成長しています。


がんばりやだけど、イカフライも大好きな楽々かあさんより。


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育児を頑張り過ぎている時の具体的な対処法・私の失敗談も満載


2016-06-13

それでも学校の理解が得られない時には・・・?

今、「発達ナビ」で合理的配慮のコラム記事を4本、順次掲載して頂いています。
  1. 「合理的配慮」を学校にお願いする前にやっておきたい3つのこと
  2. 園や学校に「ほんの少しのサポート」をお願いしたい時、どうすればいい?
  3. 担任の先生にどう伝える?支援グッズの使用を相談する時のコツ
  4. iPadは子どもの未来を拓く!合理的配慮で、どんな子にも広がる可能性

学校との連携は、私も今までずっと手探りで試行錯誤でやってきて、最近ようやくノウハウになって来たので、私の持っている情報は全部書きました。

そして、記事中にも何度か書きましたが、うちでは学校・担任の先生に、合理的配慮をお願いしてきた時、大抵の場合、「いいですよ」と理解を得られてきました。

・・・ということは、「全部」ではないんです。


どうしても理解を得ることが難しい場合も、勿論あります。

そんな時に、私がどう考えて乗り切って来たかを、こちらに書きますね。

まずは、私の要求が、客観的に見てハードルが高過ぎるものではないか、もう一度見直してみます。

それでも、そんなに難しいことではないハズなのに、「できない」と言われてしまう場合。
できる限りこちらは誠意を尽くしているのに、「どうしても理解が得られない」と思う場合。

そんな時、私は、うちの子に対する見方と同じように、学校や先生の側にも・・・

「今は、努力では乗り越えられない壁がある」と、考えます。 

実は、「努力では乗り越えられない壁」は、障害のある子・方だけでなく、どんな人にもあることなんです。

例えば、生まれついての凸凹や、親との関係や育った環境、今までの人生の歴史などから来る、その人自身のこだわり。

これは、どんな人にもあります。

そして、それは、
本人のお仕事で、他人が「変わって下さい」と言っても簡単には変えることなどできないことなんです。

私にできるのは、「うちではこうするとできるので、こうしてくれたら助かります」と、お願いして働きかけることくらい。

そして、我が子同様、先生や学校の、どうしてもできないことを責めないようにします。 

(相手を責めると、自分も責められ、お互いに追い込んでしまい、しんどくなります。そしてもし、親と先生の関係が悪くなると、一番つらい立場に置かれるのは、毎日学校に行かなくてはならない子どもです)

法律的な背景が整備されて、心強くなって来たとは言え、実際にうちの子に接しているのは、現場の人の子である生身の先生方なんです。 

完璧な子どもがいないとの同じ様に、完璧な先生もいません。

こちらができることをして、先生にとって負担の少ない方法を考え、誠意を尽くしてお願いしても、それでも理解が得られない、と言う場合、相手側にもそう簡単には受け容れられない、理由や事情があります。

例えば・・・

先生個人が抱える問題やこだわり。

慢性的な時間や気持ちの余裕のなさ、心身の不調、疲労。他のお子さんや保護者との問題。完璧主義、高過ぎる理想や強いこだわり、無意識の偏見。先生自身の凸凹傾向、生きづらさ、孤独。自分のことをありのままでいいと思えない自信のなさ・・・そんなことから、他の人のやり方を柔軟に受け容れられない場合もあります。

これは、その先生自身の問題なので、私が解決することはできません。

そして、うまくいかない理由の全てが、子どものせいでもありません。

だから、ここで無理にがんばってしまうと、お互いに消耗してしまいます。

それ以外にも、お母さん一人の努力では難しいこともあります。

もっと手のかかるお子さんが複数いるなど、クラスの他のお子さん達の状況。学校全体の慢性的な人材不足や、先生同士の上下関係やチーム連携の難しさ。地域全体の閉鎖性や情報不足。自治体の財政難、体制の不備・・・こんなことは、個人が簡単に変えられることではないので、現状で「できる範囲で、できること」をすればヨシとします。 

学校や担任の先生の理解が得られないと、一年間毎日長時間大事なお子さんを預けているお母さんにしてみたら、なかなか「しゃあない」とは思えないかもしれませんが・・・「動かない現実」を前にした時、正面から無理に動かそうとするのではなく、他の人の力を借りたり、上手にやり過ごして、エネルギーを温存するのが良いように思います。

私は、もしも配慮のお願いが「無理です」と言われた時には・・・

・もう少しハードルの低いお願いに変更する(声かけだけなど)

・クラスが落ち着いている時期やタイミングを見たり、学年が変わってから再度伝えてみる

・特別支援コーディネーター、スクールカウンセラー、管理職の先生などに相談し、間に入って、言葉を選んで伝えてもらう

・専門家の意見を頂いてくる(医療・研究機関などの意見書など)
(「素人」と見ているお母さんの意見は柔軟に受け容れられなくても、専門家や上司の意見なら受け容れられるという場合もあるかと思います)


・第三者と連携し(公的・民間の支援・療育施設や、塾・習い事など)、そちらでフォローしてもらう

・スッパリ諦めて、別のことにエネルギーを使う 

・家でできることをする


・・・など、別の方法を考えています。


ただでさえ気力・体力を使う育児なので、学校とのことであまり消耗し過ぎないよう、目の前の子どもとの時間を大事にできるよう、お母さんが自分自身のことも大切にできるよう、応援しています(^-^)



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登校しぶり対策や、学校との連携も「具体的に」書いてます!


2016-05-30

「努力では乗り越えられない壁」と「努力でギリギリ乗り越えられてしまう壁」

著書「発達障害&グレーゾーンの3兄妹を育てる母の毎日ラクラク笑顔になる108の子育て法」
p12-13「発達障害・グレーゾーンの解説用イラスト」より

得意なことの凸と、苦手なことの凹の差が大き過ぎて、本人と環境の間に、「努力では乗り越えられない壁」があることを、「発達障害」というのだと私は考えています。

だから、どんなにがんばっても、あまり漢字を覚えられない長男には「障害」があるので(最近、ようやく「九九」が覚えられました!^-^)、iPadの持ち込み等の「合理的配慮」をお願いするなど、理解と支援をお願いしながらやってきました。

支援級に転籍してからは、長男は学校がかなり楽しくなったようです。

でもね。

私が、今、一番気にしているのは、次男のことなんです。

次男は、以前兄と一緒に専門病院で診て頂いた時には、「自閉症の範疇にあると思われる」という、「診断」と言っていいかどうか分からない、あいまいな見解を頂いた、いわゆる「グレーゾーン」の子です。

次男は、兄とは対照的に、真面目で控えめで、今まで目立ったトラブルなどもなく、学校の授業にもほどほどについていけ、先生に言われたことや学校のルールはしっかり守れ、友だちとも仲良く遊べる、一見、何の問題もない子です。

・・・ですが、兄と同じように、聴覚と触覚の感覚の過敏性があり、疲れやすい体質で、知能検査でも、兄ほどではないけれど、得意なことと苦手なことの明確な差があります。

そして、時々疲れを溜めては、なんとなく学校を休みたがる、とか、特にいじめなどのはっきりした理由はないけれど、朝、腹痛を訴えてトイレから出て来ない、なんてこともあります。

これはね、「頑張り過ぎ」が原因だと私は思っています。

グレーゾーンの子は、目に見えるようなはっきりした「障害物」があるわけではないけれど、結構な凸凹道を毎日、めちゃくちゃ努力しながら、歩いているんです。


つまり・・・

「努力でギリギリ乗り越えられてしまう壁」があるんです。


これは、本人は、一見当たり前のような「皆と同じこと」をするために、本当に、本当に、よく頑張っているんです。

そして、時々疲れを溜めてしまう。


例えば・・・

授業中に出された課題やプリントが終わらない時は、長男は書かずに白紙で持って帰るのに、次男は休み時間を休まずに続け、なんとか終わらせようとしてしまう(先生が、「もういいよ」と言っても、本人ががんばってしまうようです)。

友達とトラブルがあれば、長男は言葉や手が出て、目に見える形で表現するので、周囲が調整に入り解決できることが多いのに対して、次男は言えずに黙っていて、一人でガマンしてしまう。

イヤなことがあれば、長男は「イヤなものはイヤだ!」と断固拒否したり、話し合って多少は妥協できたりするけれど、次男は何も言わずに、誰も責めずに、お腹をこわしたり、食欲をなくしたりする・・・

いじらしいくらい、本当に、真面目で、優しくて、がんばりやの子なんです。

だから、私は、この子にも、周囲の理解と支援が、ほんの少しだけ必要だと思っています。

先日、次男のことで担任の先生と面談をして来ました。私は、次男はほんの少しの理解と配慮で、通常学級で充分やっていけると、思っています。
(この時の、具体的な配慮のお願いの仕方などは、Facebook記事「サポート・シート」参照

それぞれにある「壁」の高さと同様に、
次男には、お兄ちゃんほどの、目に見えるような「特別な支援」「特別な配慮」は必要ないし、本人も目立つことや「皆と違う」ことを嫌がるので、「さり気ない支援」「さり気ない配慮」をお願いしました。

感覚の過敏性による負担感などは、他の人にはなかなか想像しにくく、言わなければ伝わらないものですが、学校では、「先生だけでも分かってくれている」ということだけでも、次男の気持ちは違ってきます。

そして・・・

なるべく家で休めるようにケアしてあげる。
疲れが溜まって来たら、多少のことは大目に見てあげる。
頑張り過ぎている時には、「ドクターストップ」を出す。
当たり前のように頑張っていることを「がんばったね」って認めてあげる。

・・・こんなことをしてあげることで、頑張り過ぎのグレーゾーンの子の負担感を減らすことができます。

「おかあさんだけでも分かってくれている」ことだけでも、違ってくると思います(^-^)


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2016-05-09

長男が「空気が読めない」のは、心と表情が違う子が増えたから・・・?

長男は「空気が読めない」と言われます。
実に間が悪く、相手の気持ちを勘違いして、「全開でGO!」サインが出て、その場の雰囲気を壊してしまうことがあります。

本人も時々「オレ、そう言うの分かんないんだよね」とお手上げだったり、
「オレの勘違いヤロー!!」と自分に腹を立てたりしています。

その理由には、
・好奇心が強く、いろんなものに目がいってしまい、状況に気づかない
・好きなことに集中しているor頭の中で考えている時は、周りが見えない

・・・など状況判断の苦手さがあって、これは「今、◯◯する時だよ」などの声かけで気づかせ、周りを見るように促しています。

もう一つ考えられる理由に、
・表情の読み取りが苦手
・共感力の弱さ

・・・が考えられますが、これは最近はちょっと疑問に思っています。

視覚情報に発達の凸がある彼は、元々は、形の認識はすごく得意な分野だし、長男には優しい所もあって、決して「相手の気持ちを考えない」という訳ではないからです。

そして、私はいつも、うちの子達に言葉と表情の両方で、分かりやすいコミュニケーションを心がけているのですが・・・

「お母さん、嬉しいな」とか「お母さん、それはイヤだな」とか、気持ちをその都度言葉にして、声のトーンも使い分けながら伝えるとともに、欧米人か幼稚園の先生になったつもりで、ややオーバー気味に、嬉しい時には笑って、不愉快な時にはしかめっ面をして、はっきりと気持ちを表現して伝えています。(伝えたいことが伝わり易いコツは、感情をそのままぶつけるのではなく、気持ちを整理して正確に伝える、ということです)

こうすると、とても分かりやすいようで、長男とのコミュニケーションがスムーズです。
つまり、私の表情をしっかり読み取って、相手を思いやったり、嫌なことはやめてくれたりと、適切な行動ができるんです。だから・・・

長男は決して、表情が読み取れないわけでもないし、共感力が弱いわけでもない。

でも、学校や他の場面で、同じようにスムーズにいかないのはなぜでしょう。

私は、それは「心と表情が違う子が増えたから」だと思っています。

それが、この社会が不要な衝突を避けて、効率よく動くための「暗黙の了解」ではあるのだけど・・・
相手が笑っていれば嬉しいだろうと思い、泣いていれば悲しいだろうと思う、素直過ぎる長男には、複雑怪奇で理解不能なことなのだと思います。

言葉の裏側にあること、なんて想像つかない彼に、それをひとつひとつ教えていくことは、この社会で生きていくためには必要なことだとは思うけど、私には長男が「間違っている」とは思えないんです。

特に子ども社会で、それが「フツー」なのだとしたら・・・

大人になれば・・・仕事のため、家族のため、生活のために、
苦手な相手にも、「ありがとうございます」と、にこやかに笑顔を見せ、
どれだけ相手が悪くても、「申し訳ございません」と、沈痛な面持ちでお詫びをし、
内心ハラワタが煮えくり返っていても、プライドを捨てて、「お願いします」と、爽やかに頭を下げることもあるでしょう。(そしてオトナはストレスを溜めていくワケですが・・・^-^;;)

でもね。子どもはさ。

嬉しい時にはケタケタ笑って、悲しい時にはわんわん泣いて、腹が立ったら全身で暴れるのが「フツー」じゃないの?

嬉しい時でも平静を装って、悲しい時でも曖昧に笑って、腹が立っても口の端をきゅっと結んで、物わかり良く自分の気持ちを引っ込める。泣きたい時には泣かないで、泣かなくてもいい時に上手に泣いてみせる。

表情から感情を相手に読み取られないように、一生懸命努力して、
でも、隠している気持ちは、言わなくても察して欲しい。分かって欲しい・・・
そんな子が、随分増えているような気がします。

勿論、心と表情が一致している、感情表現の素直な子も沢山います。
きっと、発達障害がなくても、親に、凸も凹も認められ、ネガティブな感情も受け止めてもらえ、100点でも0点でも愛されている実感が持てている子なのだと思います。

でも・・・
楽しい時、ある子は笑うのに、ある子はそうでない、とか。
腹が立つ時、ある子は怒るのに、ある子は違う、とか。

・・・表情=感情と、ストレートに受け取る長男にしてみれば、ワケワカンナイだろうな、と思います。

そんな心と表情が一致していないお子さんの、ビミョー過ぎる表情の裏側にある気持ちを察することができなければ、「空気が読めない」ってコトになるけど・・・

そんな空気、うちの子が読めるかッ!

ハードル高過ぎるわ!

今読んでいる本によれば、長男のように感情が素直に表情に出る子は、心が健康なのだと受け取っていいようです。そして、成長とともに、がまんする力もついてくるのだそうです。(参考:「怒りをコントロールできない子の理解と援助」大河原美似・著/金子書房)

でも・・・

「心が健康だから、子ども社会に適応しにくい」って、なんだかおかしいでしょう?

子どもが子どもっぽいのって、当たり前でしょう?

大人からの理解と支援を、心と感覚のケアやSSTを、「特別な配慮」を、本当に必要としているのは、発達障害のある子だけでしょうか?

実は、私自身も小さな頃は、表情から感情を読み取られないように努力していた子でしたが、昔はそんな子は少数派だったんです。だから、クラスの子達に本心を見せていない居心地の悪さがあった。でも、今はそれが「フツー」になっちゃってる感じがするんです。

そんな、手のかからない優等生の「一見、物わかりの良い子達」を見ていると・・・私の今の気持ちはね、ザワザワと腹が立つけど、なんだかすごく哀しいし、お節介かもしれないけど、ちょっと(というか、かなり)心配なんです。

嬉しい時には、お腹を抱えて笑えばいいじゃないの!
ワガママ言って、ダダコネて、かんしゃく起こしたって、いいじゃないの!
泣きたい時には、好きなだけ泣けばいいじゃないの!

あなた達は、子どもなんだから!!

そんなに急いで、大人になることないじゃない!

(・・・でも、そんなこと言われても、今はそうするしかないんだよね。きっと)

子どもが子どもらしくすることを、大人が大らかに受け容れることができたら・・・
どんな子どもも安心して、子どもらしく振る舞えるようになったら・・・

長男にとって、世界はすごく分かりやすくなるでしょう。

でも、私が自分の心と表情を一致させることに、少し時間がかかったように、それは大人にも、子どもにも、そんなに簡単なことではないのかもしれません。

どんな子も、泣いて笑って、いっぱいワガママ言って、大人を困らせて、せっかくの一生に一度しかない子ども時代を、思いっきり楽しんで欲しい・・・って、祈るような気持ちでいます。


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