素敵なお花まで頂いて、感激しました(^-^) |
私にこんな日が来るなんて、夢のようです。
なぜなら、私は、小学3年生の頃まで、選択性のかんもく(場面緘黙)がある子だったから。
選択性のかんもく、というのは、家などで慣れた人とは話せるけど、それ以外の場所・人ではだんまりになってしまうことです。私の場合、軽くうなづいたり、「うん」とか「はい」くらいは言えたので、意思疎通はでき、さほど問題とはならずに「内向的でおとなしい子」くらいの印象だったと思います。
選択性のかんもくの原因はいろいろと考えられますが、私の場合、当時を振り返ってみると
・自信がなかったこと
・何を話していいのか、「正解」が分からなかったこと
が、あったように思います。
「何を話していいのか『正解』が分からない」というのは、自由な会話(フリートーク)の時間がとても苦手だったんです。実は授業中は、しっかりした声で発言することができていました。
なぜなら、「正解」を言えば良かっただけだから。
先生が「この答が分かる人〜」と聞かれれば、手を挙げて答えていました。
「みすずさん、教科書◯ページを、ここからここまで読んで下さい」と指名されて指示があれば、すらすら読めました。クラスの子達も、授業中は黒板の方を見ているので、視線も気にならなかったように思います。
答がハッキリ分かってさえいれば、国語でも、算数でも、理科でも、社会でも、大丈夫でした。
・・・でも、休み時間や登下校中のお友達との話は、「正解」が見えず、何を話していいのかさっぱり分からなかったので、自由に話していい時間は「ひたすら耐える」苦行でした。
だから、休み時間のほうが、授業中よりも緊張して過ごしていました(^-^;)
そんな私でも、あることをきっかけに少しずつ話せるようになったんです。
それは、小3当時の担任の先生の一言。
授業中、指名されて教科書を音読した時間の後、休み時間に先生がふと、
「みすずちゃんの声はいい声だね〜!もっと聞かせて!」
と、言ってくれたんですね。
魔法が解けたように、そのたった一言で「なんだ、声を聞かせるだけでいいのか」って、気が楽になって、最初は先生から、そして徐々に先生の周りに寄って来ている子達とも、という感じで、クラスで話せるようになっていきました。
その時の、先生の言葉で、声に対する小さな自信が生まれたんです。
それでも、人前で話すことや、雑談などには苦手意識があるまま大人になって、今でもお母さん同士の立ち話などは、とりとめがなくて情報量が多くて、ちょっと疲れてしまうのですが、傾聴のスキルを身につけてからは、相づち・うなずき・おうむ返しでなんとかやり過ごしながら(^-^;)、ほどほどに楽しめるようになってきました。
そんな子ども時代を過ごした私が、講師としてお話することになったのですから。
受講料を払い、育児が大変な中時間を作り、遠くからやってきて下さる10人の受講生さんに満足して頂けるよう、講座までの約一ヶ月の間、毎日掃除機かけながら、沢山練習したので、当日は、思ったよりも緊張せずに、自然な形で皆さんの前で、最後まで無事、お話をすることができました(^-^)
でね。
今、人と話すのが苦手、と感じている子や大人の方に、かつて選択性のかんもくのある子だった私から、伝えたいことがあります。
*****
今、人と話すのが苦手な子・方へ(そして、小学生の頃の私へ)
無理に「正解」を話そうとしなくていいんですよ。
実は、人と人との会話に「正解」ってないんです(衝撃の事実!)
「人と話すのが苦手」と思う子・方は、きっととても心優しいのだと思います。
誰も傷つけないように、一生懸命言葉を選び、
そして、できるだけ相手の期待する「正解」を答えようとして、
言葉が出てくるまでに、すごく時間がかかってしまって、
ましてや、それがグループでの会話で、何人も同時に進んで行くとなると、
誰を見たら良いのかも分からないし、誰に返したらいいのかも分からないし、
せっかく「正解」らしきものを思いついても、
その間に会話はどんどん進んで、別のお話になっていて、
切り出すタイミングも分からなくて、今頃言ったら雰囲気が壊れるかも・・・なんて、
結局言葉を飲み込んでしまっているのかもしれません。
でもね。
実は、他の子・人達って、「正解」を知りたいわけではないんです。
大抵は、自分の話を聴いて欲しいんです。
だから、「うん」とか「ふーん」とか、うなずくだけで充分。それで100点なんですよ。
自分の話を聴いて欲しい人には、あなたのように黙って聴いてくれる人が必要なんです。
そしてね。
自分の意見を聞かれた時も、授業中以外は「正解」を答えなくていいんです。
あなたの素敵な声を聞かせてあげれば充分。それで100点なんです。
もし、「私はこう思うよ」って言えたら、300点!
そして、あなたがどんなことを話したとしても、自分の思ったことを正直に言えたのなら、それが「不正解」になることはありません。
「正解」はそれぞれの人の心の中にあります。
あなたの「正解」は、あなたの心が決めるし、
相手の人の「正解」は、相手の人の心が決めます。
そして、心は一人一人、人の数だけ、全部違います。
だから、どんなに言葉を選んでも、同じ答にはなりません。
自分の「正解」と、相手の「正解」が違っていても、それが当たり前で、
その違いを楽しむのが、会話というものなんだと思います。
あなたに話しかけてくる人は、
自分の話を最後まで聴いて欲しいだけか、
あなたの素敵な声が、ほんのちょっと聞きたいだけか、
優しいあなたに興味があって、自分との違いを知りたいだけなんです。
でも、自分の心がよく分からないうちは、無理に話さなくても大丈夫です。
優しいあなたは、誰よりもまず、自分の心の声をよく聴いてあげて下さいね。
自分の心は、何が好きで、何が嫌いで、どうしたいのか、どう思っているのか。
よく知らない子・人と、そんなにお話出来なくてもいいから、
今は、自分の心と、できるだけホンネで話せれば、それで大丈夫です。
そして、もし、自分の心の声がはっきりと聴こえてきたら、
自然と、だれかにそれを伝えたくなるかもしれません。
それから、人を傷つけないように心配りができて、人のためになることを考えてあげられて、できない人の気持ちが分かって、相手に合わせてあげられる・・・
そんな優しいあなたを必要としている人が、
いつか、どこかで、待っているのかもしれませんね。
人と話すのが苦手だった、楽々かあさんより。
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『凸と凹はどっちも大事。克服するのは別のこと』で返信ありがとうございました。
返信削除お忙しい中、コメントを見ていただいていると思うだけで感謝です。
だから、もう、コメントを書かないでおこうと決めたのに、
またまた今回の記事の内容が心にグッときまして…、
書かずにはおれませんでした。
過去の自分を思い返すと、
相手の気持ちを考えすぎて、言葉を選びすぎて、
結局話せなかったり、
自分が言ったことで相手の表情が暗くなったら、
しばらくそればかり考えてクヨクヨしたし、
とにかく根性のない大人しい子供でした。
今でも、ママ友さん達がワーワーってしゃべっていると、
ついていけなくて、しんどかったり、
またその後、話題にのれなかったことでクヨクヨしています。
とにかく、周りの状況を見すぎて、あの人、ひとりだけあまり
みんなに馴染めてないな…どうしたらみんなの輪に入れられるかな?
とか、あの人は、私のことはあまり好きじゃないな~、
じゃあ、私はここにいない方がいいかな?とか、
むやみやたらに考えて、本当に本当に疲れます。。。
>それから、人を傷つけないように心配りができて、人のためになることを考えてあげられて、
>できない人の気持ちが分かって、相手に合わせてあげられる・・・
>そんな優しいあなたを必要としている人が、
>いつか、どこかで、待っているのかもしれませんね。
この部分を読んで、自分の心が癒されていくのを感じました。
ありがとうございました。
読んでもらえてること、分かってるから、
返信は結構です(*^_^*)
斎藤さん、コメント嬉しいです(^-^)
削除あはは、なんだか私と気が合いそうですね。私にまでそんなに気をつかわなくていいですよ。私、そんな斎藤さんのような本当に優しい方、大好きです。
コメント、好きなだけご自由に書き込んで頂いて大丈夫です。私の都合で、丁寧にお返事できる時、出来ない時ありますが、必ず読みますから(^-^)
私は、もしかしたら、うちの長男は「どうしたら空気を読み過ぎずに済むか」という、私にラクな生き方を教えにやってきたのでは?と思うこともあります。
斎藤さんと、うちの子と似たお子さんも、補い合っているのかもしれませんね。
また、良かったらいつでもお待ちしています(^-^)
匿名でゴメンナサイ。
返信削除小一の娘が緘黙です(昨年自閉症スペクトラム診断あり)。私自身が勉強不足で、最近SSTなるものを知り、調べていくうちに楽々かあさんのHPにたどり着きました。そして、なんと楽々かあさんさん?も場面緘黙だったと、、。これを読んで涙がでてきました。
親として、この子にどのような療育をすればいいか悩んでいます。
気持ちはあせるばかりですが、とりあえず楽々かあさんのブログを読み漁って勉強したいと思います。著書は明日届きます!
言いたいことだけの書き込みで申し訳ありません。
この1年ボーっとしていたのを取り戻すためがんばります。
匿名さん、私、コメントを読んで、本当に書いて良かったと思いました(^-^) お子さんのことで、今はご心配やお心を痛めることもおありかと思います。
削除状況や状態もいろいろなため、お子さんの場面緘黙のことで、私が無責任に「大丈夫」なんて言ったらいけないと思いますが、
お伝えしたように、そんな子どもだった私も、成人し、子育てし、ほどほどに人付き合いもしながら、なんとかやっています。
これは、ひとつの事実ですね(^-^)
ご無理のない範囲で、お子さん、お母さん、応援しています。