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2016-02-23

「優等生」はゴールじゃない。本当の自主性を大事にする

子どもが高学年に近づいてくると、「自主性」という言葉を、よく聞くようになってきました。確かに、「自分のことを、自分で考え、自分で動いて、できるようにする力」は本当に大事だと思います。

でもね。
何のためにできるようになるか」という目的のほうが、もっと大事だと思うんです。

もしも、その「自主性」が・・・

「大人の要求を言われる前に察知して、顔色をうかがいながら、怒られる前に動き、選択肢の中から、一番ほめられそうな答をみつける力」

・・・だとすれば、うちの子にはなくていいや。って思います。

私はね、本当の「自主性」って・・・

「自分が何をやりたいのか明確に把握し、人からなんと言われようと実行し、周りからほめられなくても怒られても、いいと思ったことをしつこく続ける力」

・・・だと思うんです。
そう思うと、うちの長男って、既に自主性の塊みたいなものだから、この子はそれでいいんです。(まあ、多少は他の人の気持ちを想像したり、歩調を合わせてあげられる、少しの配慮や思いやりができれば、尚ヨシなんですけどね...^-^;)

前者の自主性を身につけている子は「優等生」と言われます。
いわゆる「いい子」。でもこれは「大人にとって、都合のいい子」なんです。

最近「いい子」が増えて来たように思います。

「いい子」さん達の中では、自分の気持ちに正直に動く長男は、浮いてしまうことも多いです。でも、私は最近、そんな「子どもらしい子ども」の長男のことを結構頼もしく感じていて、むしろ(余計なお世話かもしれないけど・・・)、優等生の「いい子」さん達のほうを心配しているくらいなんです。

実は、私は小学生の時、「優等生のいい子」でした。そうでないと、複雑な家庭事情では、サバイバルできなかったところもあります。
でも、頑張り過ぎてある日突然力尽きて、小3でうつ状態になり、少しの間、不登校になりました。だから・・・

「優等生で「問題行動を起こさない子」に全く問題がないか、と言われると疑問に思うこともしばしばです。 
どんな子どもにも、凸があれば、同じ数だけ凹があります。 
凸だけ、凹だけ、ということはありません。どれだけサポートや療育をがんばっても、完璧な子どもはいません。そして、「それでOK」なんだと思います。 」 
(著書「発達障害&グレーゾーンの3兄妹を育てる母の毎日ラクラク笑顔になる108の子育て法」p.270-より。私の不登校のエピソードはp243-「登校しぶり対策レベル4」をご参照下さい) 

・・・と、いつも思っています。

だからね。
うちの子を「優等生」にすることを子育てのゴールにするのは、ちょっと前にやめました。

ずっと前は思っていたんですよ。
宿題は、親に言われる前にはやって欲しいし、 自発的に勉強もして欲しい。
友だちとは、トラブルなく上手に立ち回って欲しいし、
先生からは怒られずに、ほめられるようなことをしてくれたらいいな、って。

そうなってくれたら、一見とっても手がかからないで、私は助かるし、安心できるから。

でも、ずっと「大人にほめられそうなこと」を考えて動くことを、自分の心の真ん中に置いてしまうとね、自分の心が見えなくなってしまうんです。

自分は何を考えているのか、本当は何がしたいのか、何が好きで、何が嫌いか。

「自分の心が分からない」というのは、もしかしたら、「発達の凸凹の差がある」なんてことよりも、ずっとずっと、深刻な「障害」になってしまうかもしれないから。

勿論、「優等生」の全てが悪いわけではなくて、健全な優等生だっています。
自分の意思で、心から勉強が楽しい、友だちが大好き、たまたま好きなことを続けていたら自然と賞を獲ってしまった、なんて、素敵な小学生だって中にはいるかもしれません。

だけど、私からそれを期待して、口にすることは、(もう)しません。
自分の気持ちに正直に、好きなことを続けたらいいんです。

あんたはそれでいいから、好きに伸びてゆけ!

かあちゃんも、そういう生き方を見習わせてもらうね。




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